土居之内町(読み)どいのうちちよう

日本歴史地名大系 「土居之内町」の解説

土居之内町
どいのうちちよう

東山区三条南裏通白川筋西入

東は白川。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「此町東は白川ばた也」とあり、天保二年(一八三一)刊「京都巡覧記」は「三条南裏筋 白川西へ入 土井内町」と位置を示す。

承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図は大井手町の南方に「シン丁」とあり、今小路町・土居之内町辺りをさす。町名は、寛文一二年(一六七二)洛中洛外大図貼付の付箋に「土居ノ内町」とみえるが、この付箋には問題が残る。確実なところでは、延宝二年(一六七四)四方洛外町続之町々小名之覚(荻野家文書)に「土居之内町」と出、正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名家数改帳(同文書)には「一、弐拾三軒 粟田口土居内町」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む