土居口番所跡(読み)どいぐちばんしよあと

日本歴史地名大系 「土居口番所跡」の解説

土居口番所跡
どいぐちばんしよあと

[現在地名]愛野町乙

島原半島の北西部、愛野地峡(幅約一キロ)に置かれた江戸時代の番所の跡。愛津あいつ関所ともいう。島原街道筋の愛津村内、肥前佐賀藩諫早領境に置かれた。宝永四年(一七〇七)検地と記す島原領内村明細帳によれば、土居口・原口はらぐち往来改番所が二軒、野井のい村境から原口浜番所まで出番所一一軒、関所番人家二一軒(うち下番家二軒)があり、関所の設置とともに長崎急用村継ぎを勤めるため、村高は残らず諸役免許とされている。文化九年(一八一二)修験野田泉光院は雲仙うんぜん岳より長崎方面に向かい、「会津」に出たが、番所で通過に手間取ったようである(日本九峰修行日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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