愛津村(読み)あいつむら

日本歴史地名大系 「愛津村」の解説

愛津村
あいつむら

[現在地名]愛野町おつ

野井のい村の南西に位置し、南部は海に臨む。合津・会津ともみえ、アイヅともいわれる。地内にはま浜口はまぐち中島なかしま小無田こむた桜山さくらやま玉垣たまがき中野なかのてらなどがある。島原街道が通り、一里山が置かれていた(慶安二年肥前国道法帳)じようの石垣・空堀を伴う平場などを遺構とする中世の城館跡は会津城とよばれ、有馬氏の家臣主税が在城したと伝える。江戸時代は島原藩領の北目筋に属する。慶長国絵図に「会津」とみえ、高五五〇石余。寛永一四年(一六三七)の島原の乱では千々石ちぢわ(現千々石町)庄屋から状況の注進を受けた愛津村の代官が、山田やまだ(現吾妻町)野井村などに対して武器を持って愛津村に集まることを命じ、千々石坂を登って一揆勢力に攻撃を仕掛けたという(「原城紀事」など)。同一五年の当村は竈数五七、男一五六・女九二(人数覚)。正保二年(一六四五)の高来郡内高力氏領分図では愛津村として高四六九石余、愛津内として江口えぐち村二一五石余・山川やまかわ村二五四石余が記される。寛文四年(一六六四)の高力高長領知目録(寛文朱印留)でも村名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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