土山砦跡(読み)どやまとりであと

日本歴史地名大系 「土山砦跡」の解説

土山砦跡
どやまとりであと

[現在地名]福光町土山

土山の御峰おみね地区にあり、文明三年(一四七一)から明応三年(一四九四)まであった土山坊(のちの勝興寺)跡地に隣接する。土山は集落も含め全体が要害の地となっており、この地形に着目し土山坊が創建されたとみられる。今も御坊跡の周囲には空堀土塁などの遺構が残り、防御施設を備えた一向宗寺院の姿をとどめている。土山坊移転後、佐々成政が越中を平定すると、加越国境防衛のための砦が築かれた。越中古城記(加越能文庫)には成政の家臣稗田善助・青木孫右衛門が土山砦を守ったとあり、その時期はおそらく成政が加賀の前田利家と戦った天正一二―一三年(一五八四―八五)頃のことであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 平地 北側

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む