土山村(読み)どやまむら

日本歴史地名大系 「土山村」の解説

土山村
どやまむら

[現在地名]福光町土山

能美新のみしん村の東にあり、土山・下土山したどやま脇又わきまた御峰おみねの四地区からなる。「三州旧蹟志」には黒土の産出地として土山村領が記されており、村名は黒土を産することにちなむともいう(福光町史)。本願寺蓮如の第三子蓮乗は土山坊(のちの勝興寺)に住した(反故裏書)。文明一一年(一四七九)からはその弟で蓮如第七子蓮誓が住持を勤め、明応三年(一四九四)土山坊は北方高木場たかこば(高窪)へと移った(「勝興寺系譜」など)


土山村
つちやまむら

[現在地名]姫路市土山一―七丁目・土山東の町つちやまひがしのちよう

飾西しきさい郡に所属。岡田おかだ村の北に位置する。中世土山庄のうちに含まれていた。天正七年(一五七九)の播磨国衙巡行考証(智恵袋)に西のしよう村は出村とある。慶長国絵図に「土山村」「土山」とみえる。江戸時代を通して姫路藩領。正保郷帳では田方八七六石余・畠方二八石余。元禄郷帳では高七五一石余。村高の減少は貞享元年(一六八四)以前に庄村を分村したことによるとみられる。天保郷帳では高九七七石余。浄土真宗本派本願寺派善宗ぜんそう寺はかつて今宿いまじゆくにあって真言宗に属していたが、文明九年(一四七七)祐玄が蓮如の弟子善宗に帰依して真宗として開基し、享保二年(一七一七)木仏・寺号を下付されたという(末寺帳など)


土山村
つちやまむら

[現在地名]武生市土山町

ぬか川上流山中にある。中世は山干飯やまかれい保の地。天正一一年(一五八三)八月二八日付の粟屋勝政寄進状(願成寺文書)に村名がみえる。慶長三年(一五九八)九月の越前府中郡在々高目録に高三九・九六三石、先高三三石余・出分六石余とある。正保郷帳では田方二六石余・畠方一三石余。


土山村
つちやまむら

[現在地名]加古川市平岡町土山ひらおかちようつちやま

和田新わだしん村の南に位置する。中央部を東西山陽道通り、北から南に喜瀬きせ川が流れる。慶長国絵図に村名がみえる。正保郷帳によれば田方二三一石余・畑方三三石余。天保郷帳では高四八六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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