滋賀県南東部、甲賀郡(こうかぐん)にあった旧町名(土山町(ちょう))。現、甲賀市の東部を占める一地区。1916年(大正5)町制施行。1955年(昭和30)大野、山内(やまうち)、鮎河(あいが)の3村と合併。1956年今郷(いまごう)地区を水口(みなくち)町に編入。2004年(平成16)水口町、甲賀町、甲南(こうなん)町、信楽(しがらき)町と合併、甲賀市となる。旧町域は、鈴鹿(すずか)山脈の西斜面、野洲川(やすがわ)の上流域を占める。明治以降、鉄道から離れてさびれたが、現在は国道1号、477号(鈴鹿スカイライン)、新名神高速道路が通り、自動車交通の要地となっている。中心の土山は、東海道五十三次49番目の宿場で、難所の鈴鹿峠を控え、御代参(ごだいさん)街道の分岐点でもあり繁栄した。江戸末期には家数約350、人口約1500、本陣2、旅籠(はたご)屋44があったという。「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」の鈴鹿馬子唄(まごうた)でも知られた。田村神社は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を祭神とし、厄除(よ)けの神社として参詣(さんけい)客が多い。主産業は農林業で、とくに茶の栽培が盛んで、生産量は県下一。またゴルフ場が建設され、中部にある青土(あおづち)ダム周辺などの観光開発にも期待が寄せられている。垂水斎王頓宮跡(たるみさいおうとんぐうあと)は国指定史跡。三重県境の御在所(ございしょ)山一帯は鈴鹿国定公園域。
[高橋誠一]
『芦田博編『土山町史』(1961・土山町)』
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