土川平兵衛(読み)つちかわへいべえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「土川平兵衛」の意味・わかりやすい解説

土川平兵衛
つちかわへいべえ
(1801―1843)

江戸時代、天保(てんぽう)期の義民。近江(おうみ)国野洲(やす)郡三上(みかみ)村(滋賀県野洲市)の神戸(かんべ)の生まれで、幕領三上村庄屋(しょうや)を勤めた。1842年(天保13)、天領検地増石をねらって、幕府勘定方市野茂三郎らが出向いたとき、野洲、甲賀(こうか)、栗太(くりた)の3郡の百姓約1万余人が一揆(いっき)を起こして検地を阻止した。これを三上騒動または甲賀一揆というが、平兵衛はその首謀者の1人として江戸で獄死。のち「平兵衛大明神」と尊敬された。三上山麓(さんろく)に記念碑がある。

[横山十四男]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土川平兵衛」の解説

土川平兵衛 つちかわ-へいべえ

1801-1843 江戸時代後期の一揆(いっき)指導者。
享和元年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)三上村の庄屋。天保(てんぽう)13年幕府が検地のため勘定方市野茂三郎を派遣した際,田島治兵衛らとともに甲賀,野洲,栗太3郡の4万名ともいわれる農民を指揮して強訴,市野から検地10万日延期の証文をかちとった(三上山騒動)。捕らえられて天保14年4月15/25日獄死。43歳。

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