土師尾村(読み)はじのおむら

日本歴史地名大系 「土師尾村」の解説

土師尾村
はじのおむら

[現在地名]諫早市土師野尾町はじのおちよう

平山ひらやま村の南西に位置し、南に八天はつてん岳がある。室町末期より焼物が行われ、昭和五九年(一九八四)土師野尾焼の窯跡が二ヵ所発掘された。慶長三年(一五九八)の朝鮮半島出兵の際に龍造寺家晴が朝鮮の陶工を連れ帰り、開窯したとも伝える。近世は諫早郷に属し、はじめ肥前佐賀藩親類同格の諫早家領であったが、元和七年(一六二一)に佐賀本藩に上知されたうち一村とされる。正保国絵図に「土師ノ尾村」とあり、高六八石余。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)では土師尾村、元禄国絵図では土師ノ尾村として高六八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android