土庄郷(読み)とのしようごう

日本歴史地名大系 「土庄郷」の解説

土庄郷
とのしようごう

小豆島本島と狭い海溝で隔てられた鹿(前島)にある土庄村、その西の島にある家浦いえうら唐櫃からと甲生こう三ヵ村を含む近世の郷で、土庄村を本村とし、残り三ヵ村を枝村とする。慶長一〇年(一六〇五)検地時には「土庄組」として、旧肥土ひと庄の里肥土さとひと村・山肥土やまひと村および伊喜末いぎすえ村・土庄村・豊島てしま三ヵ村を含む広域の組の名称ともなっている。土庄組の高八八九石余(小豆島全図)。寛永三年(一六二六)島内を九郷に分割するにあたり、土庄組のうち里肥土村・山肥土村・伊喜末村は上庄かみしよう郷・淵崎ふちざき郷・肥土山ひとやま郷などとなり、前記のように四ヵ村が土庄郷になって幕末に至った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む