土手小路(読み)どてこうじ

日本歴史地名大系 「土手小路」の解説

土手小路
どてこうじ

[現在地名]甲府市丸の内まるのうち一丁目・中央ちゆうおう一―二丁目・同四丁目

甲府城の南郭内にある武家地の一つで、東端南北の通り。東側は二ノ堀土手で近習きんじゆ町口・山田ようだ町口・八日ようか町口・三日みつか町口・連雀れんじやく町口の各御門に接する。地名はその位置にちなむ。西側に武家屋敷が並んで、南端も二ノ堀土手、堀を隔て片羽かたば町一丁目がある。甲府藩時代には年寄役柘植七左衛門、郡代山口八兵衛・三好与右衛門、町奉行稲生治左衛門らの一二屋敷と評定所が置かれていた(文政七年「甲府郭内外番付屋敷仮絵図帳」県立図書館蔵)。嘉永二年(一八四九)の甲府絵図(同館蔵)には勤番士屋敷一六軒が載り、通りの中ほどで八日町口御門の際に御破損屋敷がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む