土方梅子(読み)ヒジカタ ウメコ

20世紀日本人名事典 「土方梅子」の解説

土方 梅子
ヒジカタ ウメコ

大正・昭和期の舞台衣装家



生年
明治35(1902)年1月

没年
昭和48(1973)年12月11日

出生地
東京

経歴
日本銀行総裁・三島弥太郎と、軍人・大山厳の長女信子の二女として東京に生まれる。大正7年16歳で伯爵・土方久明の長男・与志と結婚し、夫の築地小劇場創立に加わり、衣装部主任を務め舞台衣装家として活躍した。のち夫が社会主義に傾向し、昭和6年新築地劇団を率いて日本プロレタリア劇場同盟に参加、7年夫婦とも検挙された。8年夫と共に渡欧モスクワに入り国崎定洞、野坂龍、片山ヤスらと共に外国労働者出版所に勤務していたが、12年スターリン粛清により国外追放になる。その後も夫の良き理解者として常に行動を共にし、16年帰国。夫は9年爵位剥奪、帰国後は終戦まで投獄されるが、この間家を守り、2児を養育した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土方梅子」の解説

土方梅子 ひじかた-うめこ

1902-1973 大正-昭和時代の舞台衣装家。
明治35年1月生まれ。三島弥太郎の次女。母は大山巌(いわお)の長女。大正7年土方与志と結婚,築地小劇場創立にくわわり,衣装部主任として活躍。9年間の外国生活,夫の爵位剥奪・投獄などをのりこえ,夫をささえた。昭和48年12月11日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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