国崎定洞(読み)くにさき ていどう

  • 1894―1937
  • くにさきていどう
  • 国崎定洞 くにさき-ていどう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1894-1937 大正-昭和時代前期の衛生学者,革命家。
明治27年10月5日生まれ。東京帝大助教授のときドイツ留学し,有沢広巳(ひろみ)らの社会科学研究会に参加。昭和2年ドイツ共産党に入党し,ナチス台頭により7年ソ連に亡命スターリン粛清にあい,12年12月10日獄死。44歳。戦後名誉回復した。熊本県出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

1894‐1937(明治27‐昭和12)
社会医学者,革命運動家。熊本市に生まれる。1919年東大医学部卒業後,東大伝染病研究所に入り,24年助教授となる。翌年医学部衛生学教室に移り,26年社会衛生学研究のためドイツに留学。同年よりベルリンで日本人留学生の社会科学研究会に参加し,有沢広巳,山田勝次郎千田是也などと親交をもつ。27年ドイツ共産党に入党し,在独日本人左翼グループの中心として活躍。またドイツ社会衛生学およびレーニンの著作の翻訳出版を進める。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

社会衛生学者。スターリン粛清の犠牲となった革命家として注目されている。熊本市生まれ。第一高等学校を経て1919年(大正8)東京帝国大学医学部を卒業し、伝染病研究所に入所。長与又郎(ながよまたろう)所長の知遇を得て、1924年東大衛生学講座の助教授となる。帰国後は社会衛生学講座の開講の予定で、1926年にベルリンに留学したが、1927年(昭和2)ドイツ共産党に入党し、在独日本人左翼グループの中心として国際的革命家への道を歩み始め、ついに帰国しなかった。その間にレーニン『共産主義左翼の小児病』などの翻訳や『社会衛生学講座』を日本国内で出版。「三十二年テーゼ」掲載の『インプレコール』を河上肇(はじめ)に送り、それを河上が翻訳して地下の共産党に提出した話は有名。1932年ナチス台頭により片山潜(せん)の縁でモスクワに亡命。昭和12年12月10日にスターリン粛清で獄死した。

[川上 武]

『川上武著『流離の革命家』(1976・勁草書房)』『川上武・加藤哲郎・松井坦編著『社会衛生学から革命へ』(1977・勁草書房)』

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