デジタル大辞泉 「三島弥太郎」の意味・読み・例文・類語 みしま‐やたろう〔‐やタラウ〕【三島弥太郎】 [1867~1919]銀行家。薩摩の人。通庸みちつねの長男。貴族院議員・横浜正金銀行頭取を経て日本銀行総裁に就任するが、任期中に病死した。[補説]徳冨蘆花の小説「不如帰ほととぎす」の登場人物、川島武男のモデルとしても知られる。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「三島弥太郎」の解説 三島 弥太郎ミシマ ヤタロウ 明治・大正期の実業家,子爵 日本銀行総裁(第8代);貴院議員。 生年慶応3年4月1日(1867年) 没年大正8(1919)年3月7日 出生地薩摩国鹿児島(鹿児島県) 学歴〔年〕山形師範卒,駒場農学校,アムハースト農学校卒 経歴旧鹿児島藩士。明治17年アメリカのアムハースト農学校に留学、21年帰国し家督を継ぐ。翌22年再び渡米し、害虫学で修士号を取得。25年農商務省及び逓信省の嘱託を経て、39年横浜正金銀行に入り、44年頭取となる。大正2年日本銀行第8代総裁に就任、6年間務めた。この間、明治30年〜大正8年貴院議員。他に岩越鉄道、中国興業、日仏銀行など諸会社の重役も兼ねた。徳冨蘆花の小説「不如帰」の主人公のモデル。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「三島弥太郎」の解説 三島弥太郎 没年:大正8.3.7(1919) 生年:慶応3.4.1(1867.5.4) 大正時代の日本銀行総裁,子爵。薩摩(鹿児島)藩士三島通庸の長男。鹿児島生まれ。山形県立師範学校卒業後,駒場農学校(東大)に学ぶ。明治17(1884)年に18歳で農政学研究のため米国留学,帰国後北海道庁に勤務。22年再度米国留学,25年に帰国後農商務省,逓信省の嘱託。30年31歳で貴族院議員に当選,貴族院研究会幹部として活躍。39年横浜正金銀行の嘱託,44年に頭取。大正2(1913)年日本銀行総裁に就任し第1次世界大戦期の変動著しい金融界を指導。なかでも北浜銀行や東京株式市場の救済,見返品制度の大幅改正,公定歩合政策の弾力的運用などを行い信用秩序の維持に努力。同行総裁在職中に没。<参考文献>坂本辰之助『子爵三島弥太郎伝』,吉野俊彦『歴代日本銀行総裁論』 (佐藤政則) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三島弥太郎」の解説 三島弥太郎 みしま-やたろう 1867-1919 明治-大正時代の銀行家。慶応3年4月1日生まれ。三島通庸(みちつね)の長男。アメリカで農政学をおさめ,農商務省などにつとめる。明治30年貴族院議員。39年横浜正金銀行取締役となり,頭取をへて大正2年日本銀行総裁となった。大正8年3月7日死去。53歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。駒場農学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by