朝日日本歴史人物事典 「土方雄久」の解説
土方雄久
生年:天文22(1553)
安土桃山・江戸前期の武将。土方信治の子。通称は彦三郎,彦左衛門,勘兵衛。名は雄良とも。織田信雄の家臣で,偏諱を与えられている。伊勢田丸城を守り,伊賀の乱で戦功をあげ,天正11(1583)年,滝川一益滅亡後,その遺領の一部が信雄に与えられたとき,伊勢菰野(薦野)を与えられた。翌年,信雄の命で家老の星崎城主岡田重孝を豊臣秀吉に通じたとして斬り,信雄は秀吉と断交。これが小牧・長久手の戦の発端のひとつとなった。戦後尾張犬山城4万5000石を与えられた。信雄が改易されたあと秀吉に仕え,のち,慶長4(1599)年,徳川家康暗殺計画容疑で常陸の佐竹義宣に預けられた。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報