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土方雄久 ひじかた かつひさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土方雄久 ひじかた-かつひさ

1553-1608 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)22年生まれ。土方信治(のぶはる)の子。織田信雄(のぶお)の家臣で,尾張(おわり)(愛知県)犬山城主。のち豊臣秀吉につかえる。秀吉没後の慶長4年(1599)徳川家康の暗殺計画の容疑で追放されるが,関ケ原の戦いの際に家康にゆるされ,加賀(石川県)野々市城主となる。9年下総(しもうさ)多古藩(千葉県)藩主土方家初代。1万5000石。慶長13年11月12日死去。56歳。尾張出身。通称は彦三郎,勘兵衛

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朝日日本歴史人物事典の解説

土方雄久

没年:慶長13.11.12(1608.12.19)
生年:天文22(1553)
安土桃山・江戸前期の武将。土方信治の子。通称は彦三郎,彦左衛門,勘兵衛。名は雄良とも。織田信雄の家臣で,偏諱を与えられている。伊勢田丸城を守り,伊賀の乱で戦功をあげ,天正11(1583)年,滝川一益滅亡後,その遺領の一部が信雄に与えられたとき,伊勢菰野(薦野)を与えられた。翌年,信雄の命で家老の星崎城主岡田重孝を豊臣秀吉に通じたとして斬り,信雄は秀吉と断交。これが小牧・長久手の戦の発端のひとつとなった。戦後尾張犬山城4万5000石を与えられた。信雄が改易されたあと秀吉に仕え,のち,慶長4(1599)年,徳川家康暗殺計画容疑で常陸の佐竹義宣に預けられた。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の土方雄久の言及

【土方氏】より

…近世大名。清和源氏,宇野氏族という。祖は太郎季治でその後裔彦三郎信治は織田信長に仕えた。子雄久(かつひさ)は織田信雄(のぶかつ)に仕え,伊賀一揆鎮圧の功で信雄から諱字(きじ)をもらったという。1583年(天正11)従五位下。信雄没落後は豊臣秀吉に仕えたが,99年(慶長4)徳川家康暗殺の容疑で常陸太田へ追放。関ヶ原の戦のとき,家康に赦免され軍功をあげた。雄久の子雄重は能登石崎を領し,3代続いたが罪あって断絶。…

※「土方雄久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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