多古藩(読み)たこはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「多古藩」の意味・わかりやすい解説

多古藩
たこはん

下総(しもうさ)国香取(かとり)郡多古(千葉県多古町)に存在した藩。譜代(ふだい)。戦国期は山角氏領。1590年(天正18)徳川家康領となり保科正光(ほしなまさみつ)が1万石で入封。関ヶ原の戦いののち一時、加賀国野々市(ののいち)藩(土方(ひじかた)氏)領となる。1635年(寛永12)松平久松勝義(かつよし)が8000石で入り、勝忠(かつただ)(7000石→9000石)・勝以(かつゆき)(以下1万2000石)・勝房(かつふさ)・勝尹(かつただ)・勝全(かつたけ)・勝升(かつゆき)・勝権(かつのり)・勝行(かつゆき)・勝慈(かつなり)と相続し廃藩。勝義が大番頭(おおばんがしら)、勝忠が大番頭・駿府(すんぷ)城代、勝以が御側(おそば)・大坂定番(じょうばん)、勝尹が大番頭を勤めた。領地は下総・上総(かずさ)・下野(しもつけ)3国内に分散し、1853年(嘉永6)一部が陸奥(むつ)国に移封された。藩校学問所は勝行が1830年(天保1)に江戸藩邸内に設置。1871年(明治4)廃藩、多古・新治(にいはり)・茨城県を経て千葉県に編入。

[大谷貞夫]

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デジタル大辞泉プラス 「多古藩」の解説

多古藩

下総国、多古(現:千葉県香取郡多古町)を本拠地とした譜代藩。藩祖は保科正光。寛永年間以降は松平(久松)氏が藩主をつとめた。

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世界大百科事典(旧版)内の多古藩の言及

【下総国】より

…1724年(享保9)以後内田氏(1万石)が入封した。生実(おいみ)藩は1627年(寛永4)からの森川氏(1万石),高岡藩は1640年からの井上氏(1万石),多古藩は1713年(正徳3)からの久松松平氏(1万2000石)が維新まで続いた。古河藩は小笠原秀政入封以後,戸田松平,小笠原,奥平,永井,土井,堀田,藤井松平,大河内松平,本多,松井松平,土井の諸氏が交替した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」