日本歴史地名大系 「土肥椙山巌窟」の解説 土肥椙山巌窟どいすぎやまがんくつ 神奈川県:足柄下郡湯河原町鍛冶屋村土肥椙山巌窟[現在地名]湯河原町鍛冶屋箱根町に至る県道椿(つばき)ラインより城山(しろやま)隧道を抜けた城山の北西斜面にある。鵐窟(しとどのいわや)ともいう。「吾妻鏡」によれば、治承四年(一一八〇)八月二三日の石橋山合戦に敗北した源頼朝が土肥「椙山」、箱根権現に逃れ、二八日に真名鶴(まなづる)崎(現真鶴町)より船で脱出するまでの間を山中に潜伏するが、当巌窟はその間に頼朝が隠れた場所と伝承され、昭和三〇年(一九五五)伝頼朝隠潜地として県史跡に指定された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by