日本歴史地名大系 「鍛冶屋村」の解説
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
北・西部に
近世は小田原藩領。正保国絵図に「ヨシハマノ内鍛冶屋」とあり、吉浜村の分村であった。諸役として貞享三年(一六八六)の村明細帳(明治小田原町誌)によれば、御用柿渋・蜜柑を納め、延享四年(一七四七)の村明細帳(柏木文書)には大名が熱海行の際の掃除人足・助人馬、藩主が伊豆行の際の人馬、箱根道作り、
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
- 三重県:上野市
- 鍛冶屋村
元禄一〇年(一六九七)新検を改め、本高三一六・六四九石、平高七九二・八石でうち藤堂式部領四三二石。
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
- 京都府:綾部市
- 鍛冶屋村
村域内に
一之宮神社(祭神伊弉諾命・速玉男命・事解男命)は社伝によれば、「延喜式」神名帳の何鹿郡「
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
- 愛知県:知多市
- 鍛冶屋村
東西に細長く、村内の西端を
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳の村高三八三石八斗二升一合。「芸藩通志」には、畝数三四町六畝六歩、戸数五三・人口二七〇、牛二五・馬五、池に
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
鍛冶屋村
かじやむら
- 兵庫県:加西市
- 鍛冶屋村
鍛冶屋村
かじやむら
- 大分県:竹田市
- 鍛冶屋村
城原川東岸の高台にあり、
鍛冶屋村
かじやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報