在原寺跡(読み)ありわらでらあと

日本歴史地名大系 「在原寺跡」の解説

在原寺跡
ありわらでらあと

[現在地名]天理市櫟本

櫟本いちのもと市場垣内いちばがいとに在原神社とともにあったが、明治初年に廃された。在原寺の縁起旧記(玉井家文書)に「旧記云、本光明山補陀落院在原寺初在原山観音院本光明王寺也近頃相改者、阿保親王開基、本尊者十一面観音也、此像者、聖武天皇光明皇后御安仏也」とある。「和州寺社記」では元慶四年(八八〇)の草創となっている。天文二二年(一五五三)三条西公条の「吉野詣記」に在原寺の記事がみえる。江戸幕府は慶長七年(一六〇二)八月六日に寺領五石を与えている。松尾芭蕉は元禄元年(一六八八)「笈の小文」の旅で当地に立寄っている。伊賀の惣七(猿雖)宛の書簡(芭蕉翁全伝)に「石上有原寺井筒の井、深草生ひたるなどを尋ね」とみえ、天和三年(一六八三)仲夏の跋がある「虚栗」に「在原寺にて」として「美男村の柳はむかしを泣せけり」(鼓角)、「うぐひすを魂にねむるかたあ柳」(芭蕉)の句がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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