山川 日本史小辞典 改訂新版 「地下連歌」の解説
地下連歌
じげれんが
公家社会の堂上(どうじょう)連歌に対し,一般人の間で行われた連歌。鎌倉時代に堂上で百韻形式の連歌が成立すると,やがて庶民の間にも流行し,道生(どうしょう)・寂忍(じゃくにん)・無生(むしょう)らが寺社の花の咲いた木の下に大衆を集めて連歌会を公開するようになった。これを花の下(はなのもと)の連歌という。その後,南北朝期にかけ,善阿(ぜんな)・救済(きゅうぜい)らの指導により堂上連歌をまきこむほどの活況をみせ,二条良基と救済の協力で連歌式目の制定や準勅撰集としての「菟玖波集(つくばしゅう)」の編纂が行われるほどであった。室町時代を通じ,地下連歌は競技性と賭博性をもつ庶民の娯楽であり続けた。作風には,和歌的優美さを重視する堂上連歌にはない力強さがある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報