改訂新版 世界大百科事典 「地域人民闘争」の意味・わかりやすい解説
地域人民闘争 (ちいきじんみんとうそう)
1947年の二・一ストで全国的統一闘争を禁止された労働組合が,翌年にかけ,職場闘争を基礎に地域の諸要求と結合して地方権力との闘いも目ざした闘争戦術。片山哲内閣の1800円ベース反対の労働組合は,47年6月の全逓松江大会で地域闘争戦術を決定,8月,神戸中央郵便局で〈集団欠勤〉戦術を採用,以後各地に波及したが,これを〈山猫スト〉とする政府の警告で一応鎮まった。しかし11月,全逓松本大会は地域の諸要求と結合,農民,市民との共闘で地方権力と対決する地域人民闘争戦術を採択,共産党も12月の第6回大会でこの戦術を定式化した。しかし現実には地域闘争として展開された。2.8ヵ月分の生活補給金のうち未払いの0.8ヵ月分をめぐる48年の3月闘争は,全官公が3月25,26日一斉休暇戦術を採用,全逓は29日東日本で30日は西日本で一斉ストに突入した(全逓三月闘争)。これに対しGHQは,異なった地域での短期間の組織的欠勤は全地域での一斉ストと同じとして31日に禁止した。以後政労の交渉で4月19日,2920円ベースが妥結し,地域闘争も終息させられた。
執筆者:神田 文人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報