地蔵堂町(読み)じぞうどうまち

日本歴史地名大系 「地蔵堂町」の解説

地蔵堂町
じぞうどうまち

[現在地名]分水町地蔵堂

東を西にし川が北へ流れ、北は大武おおたけ新田、南西は三島さんとう五千石ごせんごく村。町名は文治三年(一一八七)西行が源頼朝から拝領の地蔵尊を当地に祀ったことに由来すると伝えられる。永徳三年(一三八三)には町並ができたという(願王閣棟札など)。天正三年(一五七五)一一月二三日の氏姓未詳政実宛行状(菅与吉氏所蔵文書)に「ちさうたう屋しき」とみえ、今井弥七郎に与えられている。同八年四月、上杉景勝が三条城を攻撃した際当地も攻略され、景勝の陣が置かれた(四月一八日「上杉景勝書状」下平文書)。八月二二日には同年春「地蔵堂町落去」の時の軍忠を賞する直江信綱書状(上杉年譜)が本村新助に宛てられている。

近世は初め三条藩領で、元和六年(一六二〇)の三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏文書)では高八一石七斗余。正保国絵図では高九二石余、幕府領に属する。慶安二年(一六四九)村上藩領となる。宝暦一一年(一七六一)の巡見使案内帳(分水町史年表)によれば高二〇七石六斗余、田畑三五町五反四畝余、家数三八五(うち本百姓二三八・渡守四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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