坂出村(読み)さかいでむら

日本歴史地名大系 「坂出村」の解説

坂出村
さかいでむら

[現在地名]坂出市本町ほんまち一―三丁目・元町もとまち一―四丁目・寿町ことぶきちよう一―三丁目・白金町しろがねちよう一―三丁目・八幡町はちまんちよう一―四丁目・常盤町ときわちよう一―二丁目・宮下町みやしたちよう中央町ちゆうおうまち築港町ちつこうちよう一―二丁目・京町きようまち一―三丁目・室町むろまち一―三丁目・旭町あさひまち一―三丁目・横津町よこづちよう一―三丁目・久米町くめちよう一―二丁目・入船町いりふねちよう一―二丁目・昭和町しようわちよう一―二丁目・新浜町しんはまちよう富士見町ふじみちよう一丁目・文京町ぶんきようちよう一―二丁目・駒止町こまどめちよう一―二丁目・谷町たにまち一―三丁目・沖の浜おきのはま西大浜北にしおおはまきた一―四丁目・西大浜南にしおおはまみなみ一―三丁目・坂出町

現坂出市の西端に位置し、北は海に面する。東は江尻えじり村、南は福江ふくえ村、西は御供所ごぶしよ村および鵜足うた宇多津うたづ(現綾歌郡宇多津町)。近世後期には湊として、また坂出塩田の所在地として大きく発展するが、往時は海岸線が深く入込んでおり、現市街地中心部から南寄りの地域で漁労用とみられる蛸壺型土器が発掘されている。近世以前に集落の形成があったか否かは確かでなく、慶長八年(一六〇三)播州からの移民が地先海中の寄洲を堤防として塩田(内浜・北浜・新浜・宗徳浜)を開き、洲加すか内浜うちはまに集落が形成されたと伝える。寛永一四年(一六三七)一一月、坂出村惣旦那衆が檀那寺西光さいこう(現宇多津町)に差出した宗旨檀那誓約覚(西光寺文書)に「先年播州にて古旦那坊主御座候へ共、三十五年此方当国罷越候刻、貴僧様先代より旦那坊主頼申事実正也」とあり、移住時期がほぼ慶長八年頃であることを裏付ける。この誓約覚には「うちはま」の政所市左衛門以下一七名と、「すか」の政所又右衛門以下五名が連署しており、すべて一宗宗徒である。なお埋立前の坂出海岸の状況は「玉藻集」に天正七年(一五七九)のこととして「香川民部に付て讃州宇足津の浦にわたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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