坂出墾田(読み)さかいでこんでん

日本歴史地名大系 「坂出墾田」の解説

坂出墾田
さかいでこんでん

[現在地名]坂出市西大浜北一―四丁目・西大浜南一―三丁目・中央町・久米町一丁目・入船町二丁目・京町二―三丁目・室町二―三丁目・御供所町二―三丁目・江尻

江戸時代後期、坂出村を中心に西は御供所ごぶしよ村、東は江尻えじり村に及ぶ地先海面を埋立てて造成された新田。半ばは塩田、半ばは耕地宅地で、坂出塩田・坂出新開ともよばれた。文政七年(一八二四)高松藩御徒並久米通賢の建策により、通賢に坂出墾田築造が命じられ、同人を郷普請奉行、藩士吉本氏芳を勘定方とし、両人指揮のもとに高松藩営工事として築造された。この墾田に関しては通賢の建白書稿並計画絵図・諸積帳・経済元録記・心積帳・口銀元帳・浜冥加元帳(鎌田博物館蔵)のほか、慶応二年(一八六六)藤村長茂公用覚留(藤村文書)、潰浜江作付人別書上帳(鎌田博物館蔵)、入谷澄士「続筐底秘記」、松平金岳「遊坂出墾田記」などが伝わり、以下の記述はこれらによる。

文政七年一〇月久米通賢は領内の製糖業奨励と坂出沖に新たに塩田を開くことを高松藩主に献策した。当時藩内では財政逼迫の折から、莫大な工事費を要する新規事業を危ぶむ声が高く反対も多かったが、藩主頼恕の決断により工事着工が決められた。同九年一月二三日までに御供所浦新開から林田はやしだ末包すえかね新開までの測量を済ませ、五月二一日坂出墾田西にし新開工事地鎮祭を執行、工事に着手した。この工事には膨大な数の人手を必要とし、七月には阿野あや郡南大庄屋片山庄太郎は阿野郡南の村々からの工事手伝人足五千人の派遣方を願出ているが(稲毛文書)、地元諸村はもちろんのこと、伊予備前安芸周防の塩業地域のほかに、大坂や京都辺りからも出動している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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