坂十仏
生年:生没年不詳
鎌倉時代末期から南北朝時代の連歌師。生年は弘安3,4(1280,81)年ごろか。坂九仏の子で,子に士仏がいる。「日本一和漢才学の者」(『密伝抄』)で,和歌にも堪能であり,『新後拾遺和歌集』に入集,また足利尊氏に『万葉集』を講じている。医術を修得した医僧としても著名。花下連歌の指導者善阿の弟子であり,知的で巧妙な付合を得意としたことが『【G7EDF玖波/つくば】集』に入集したその句から分かる。康永1/興国3(1342)年,伊勢神宮で法楽連歌に参加した折『伊勢太神宮参詣記』を記し,『拾塵抄』なる連歌学書を残したらしい。<参考文献>木藤才蔵『連歌史論考』上
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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坂十仏 さか-じゅうぶつ
?-? 南北朝時代の医師,連歌師。
坂九仏(くぶつ)の子。光明天皇,足利尊氏の侍医となり,建武(けんむ)4=延元2年(1337)民部卿法印となる。博学多才で知られ,連歌は善阿(ぜんあ)にまなんだ。康永元=興国3年伊勢に参宮し,法楽連歌を興行,「伊勢太神宮参詣(さんけい)記」をあらわした。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の坂十仏の言及
【伊勢太神宮参詣記】より
…1342年(興国3∥康永1)坂十仏(さかじゆうぶつ)が伊勢神宮に詣でた際の参詣記。《太神宮参詣記》ともいう。…
※「坂十仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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