善阿(読み)ゼンナ

デジタル大辞泉 「善阿」の意味・読み・例文・類語

ぜんな〔ゼンア〕【善阿】

鎌倉後期の連歌師地下じげ連歌界の指導者として活躍連歌式目制定に寄与した。門下救済ぐさいらがいる。生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「善阿」の解説

善阿

没年:正和1,2?(1312,13)
生年:生年不詳
鎌倉時代末期の連歌師。時宗の七条金光寺の僧か。没年には異説もある。鎌倉末から南北朝時代にかけて,花見の人々が群集する寺社境内などで行われた花下連歌における代表的作家で,「善阿といひし者,ならびなき上手にて」(『筑波問答』),「善阿,近代の地下の宗匠也」(『密伝抄』)などと評され,職業連歌師のはしりとされる。特に鷲尾(京都市東山区)の花下連歌で活躍し,ある院がお忍びでこの場を訪れた折,「あすもたてうす花ぞめの春の雲」と詠んだ栄誉が『菟玖波集』に記されており,さらに沈酔して院の御車の簾を少し持ち上げたとき,院は,李白が酔って靴のまま玉座に上った例になぞらえ,「昔の李白は沓をはき,今の善阿は丸がみぎりに戯れたり」といい非礼を咎めなかったという逸話が『古今連談集』に記されている。鎌倉末期の連歌は,有心,無心連歌が競いあうような遊戯的段階を脱し,公的なルールである式目の整備を必要としており,善阿も建治年間(1275~78)に『建治新式』を制定,これはのちの式目の規準となるとともに南北朝時代の地下連歌発展の基礎を築いた。善阿の句風は古代風で弟子救済は用いなかったと伝えられるが,『菟玖波集』には32句入集発句「みし花のおもかげうづむ青葉かな」などが載る。門下に救済,順覚,信昭,坂十仏らがあり,彼らは南北朝時代の地下連歌を主導した。句集に『連葉集』があったが佚書。<参考文献>金子金治郎『菟玖波集の研究』

(沢井耐三)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「善阿」の意味・わかりやすい解説

善阿
ぜんあ

生没年未詳。鎌倉末期の連歌師。1312年(正和1)の法輪寺千句に、弟子の順覚、信昭とともに臨み、すでに相当な高齢だったと考えられる。京の法輪寺や鷲尾(わしのお)での花(はな)の下(もと)連歌の宗匠で、その門下に順覚、信昭、十仏(じゅうぶつ)、救済(きゅうせい)らが輩出し、地下(じげ)連歌の興隆に尽くした。とくに、救済が二条良基と結んで連歌を大成することにより、善阿らの地下連歌が連歌の主流を占めることとなった。建治(けんじ)の新式を実際に制定したのは善阿だといわれ、『連葉集』という句集があったが、散逸。『菟玖波(つくば)集』には32句入集。

[島津忠夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「善阿」の解説

善阿 ぜんあ

?-? 鎌倉時代の連歌師。
連歌の先駆者で,建治(けんじ)2年(1276)連歌式目「建治式」の制定に参加。正和(しょうわ)元年京都嵯峨(さが)の法輪寺で千句興行をおこなう。救済(ぐさい)らおおくの弟子をそだて,南北朝時代の連歌隆盛のもとをきずいた。二条良基(よしもと)撰の「菟玖波(つくば)集」に32句えらばれている。名は「ぜんな」ともよむ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「善阿」の意味・わかりやすい解説

善阿
ぜんな

鎌倉時代後期の地下 (じげ) 連歌師。救済 (ぐさい) ,順覚,信昭,良阿,十仏らの名手を弟子にもち,『菟玖波 (つくば) 集』に 32句が入集している。

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世界大百科事典(旧版)内の善阿の言及

【宗匠】より

…和歌では,中世,近世において,二条家冷泉(れいぜい)家など,和歌の家の人々が勅許を得て称され,天皇,上皇の和歌の師範を勤めた。連歌では,二条良基が善阿を称して〈近代地下(じげ)の宗匠〉といっているのは,第一人者の意と思われる。1448年(文安5)幕府の命により京都北野社の連歌会所の奉行職に高山宗砌(そうぜい)がつき,そのあと,能阿,宗伊,宗祇(そうぎ),兼載らが任ぜられたが,この人々は宗匠と称された。…

【百万遍念仏】より

…鎌倉初期に百万遍念仏が行われたことは,滋賀県信楽(しがらき)町玉桂寺の阿弥陀仏像胎内文書で明らかであるが,後世のような大念珠が用いられていたかは不明である。浄土宗で攘災のためにこれを行った最初は知恩寺世善阿空円と伝える。善阿は1331年(元弘1)後醍醐天皇の勅により7日間にわたって念仏百万遍を修したところ,疫病が終息したので,天皇から〈百万遍〉の寺号と弘法大師利剣の名号を賜ったという。…

【連歌師】より

…鎌倉時代の中・後期にその初期形態が見られ,13世紀半ばの道生(どうしよう),寂忍らが〈花下(はなのもと)連歌〉の興行・指導をしているのがその例であるが,実態は明らかではない。14世紀はじめころ活躍した善阿(ぜんあ)は七条道場金光寺の僧であったが,組織的な連歌会の運営と門弟の育成をおもな仕事としており,連歌式目の制定にも関与するなど,専門の連歌師と呼ぶにふさわしいものがある。作風も前代の和歌的情趣による句作を超え,〈地下(じげ)〉独自の雅俗入りまじった付合(つけあい)を創始し,地下連歌の作風の源流となった。…

※「善阿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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