朝日日本歴史人物事典 「坂本市之丞」の解説
坂本市之丞
生年:元文1.3.15(1736.4.25)
江戸中期の新田開発者。幼名太郎。養川と号した。信濃国諏訪郡田沢村(茅野市)の武田家旧臣の家に生まれ,23歳で田沢村の名主となる。その後諸国を巡って新田開発技術を修得。安永4(1775)年,水不足のために行きづまっていた諏訪地方の新田開発を,北東部の河川の余水を順繰りに南方の原野へ送ることによって進めようとする計画書を高島(諏訪)藩へ提出する。藩の内紛などから許可がおりたのはそれから10年後の天明5(1785)年だったが,以後つぎつぎに15の用水路(汐)が開削され(養川の繰越堰と呼ばれる),市之丞は,当初は請負人として仕事に当たり,のちには汐役人にとりたてられた。開発面積も300haにおよんだ。<参考文献>『茅野市史』中
(斎藤洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報