坂本市之丞(読み)さかもと・いちのじょう

朝日日本歴史人物事典 「坂本市之丞」の解説

坂本市之丞

没年:文化6.3.2(1809.4.16)
生年:元文1.3.15(1736.4.25)
江戸中期の新田開発者。幼名太郎。養川と号した。信濃諏訪田沢村(茅野市)の武田家旧臣の家に生まれ,23歳で田沢村の名主となる。その後諸国を巡って新田開発技術を修得。安永4(1775)年,水不足のために行きづまっていた諏訪地方の新田開発を,北東部の河川の余水を順繰り南方原野へ送ることによって進めようとする計画書を高島(諏訪)藩へ提出する。藩の内紛などから許可がおりたのはそれから10年後の天明5(1785)年だったが,以後つぎつぎに15の用水路(汐)が開削され(養川の繰越堰と呼ばれる),市之丞は,当初は請負人として仕事に当たり,のちには汐役人にとりたてられた。開発面積も300haにおよんだ。<参考文献>『茅野市史』中

(斎藤洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂本市之丞」の解説

坂本市之丞 さかもと-いちのじょう

1736-1809 江戸時代中期-後期の治水家。
享保(きょうほう)21年3月15日生まれ。信濃(しなの)諏訪郡田沢村(長野県茅野市)の名主。八ケ岳西南麓(ろく)の新田開拓を計画し,天明5年高島藩の許可を得,15年をかけて繰り越し堰(せぎ)とよばれる十数条の用水路をひらき,300haの新田開発に成功した。文化6年3月2日死去。74歳。幼名は太郎。号は養川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「坂本市之丞」の解説

坂本市之丞 (さかもといちのじょう)

生年月日:1736年3月15日
江戸時代中期;後期の新田開発者
1809年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android