坂本要害跡(読み)さかもとようがいあと

日本歴史地名大系 「坂本要害跡」の解説

坂本要害跡
さかもとようがいあと

[現在地名]山元町坂元 館下

本郷南の字館下たてしたにある。坂元さかもと城・蓑首みのくび城ともいう。「古城書立之覚」「観蹟聞老志」「封内名蹟志」等は坂元大膳の居城と伝え、「封内風土記」は蓑頸みのくび城と記す。亘理氏の家臣坂元参河の後は後藤(信康)・黒木(宗元)津田(景康)諸氏が相次いで居城し、元和二年(一六一六)に大条宗綱の居城となったとある。現在の城跡は一家二千石(のち四千石)の邑主大条氏代々の要害屋敷跡である。全体は南北に長く周囲を堀(一部空堀)と土塁で囲む。北から本丸・二の丸・三の丸と南へ延び、それぞれは堀と土塁で区画される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む