梁川町(読み)やながわまち

日本歴史地名大系 「梁川町」の解説

梁川町
やながわまち

面積:八二・九三平方キロ

中通り北部、伊達郡の北東部に位置し、北から東にかけては宮城県白石市・同県伊具いぐ丸森まるもり町、南は霊山りようぜん町、西は国見くにみ町・桑折こおり町・保原ほばら町。町域の東は阿武隈高地にかかり、町域北寄りを阿武隈川が北東流する。北流してきた広瀬ひろせ川、南東境のまどくら(六七三・八メートル)に発する塩野しおの川が梁川市街地の北で阿武隈川に合流し、町域北部で山舟生やまふにゆう川が合流する。なお広瀬川は江戸時代の梁川村より上流では小手おで川とよばれ、広瀬川とよんだのは梁川村地内であった。国道三四九号と主要地方道浪江なみえ―国見線が梁川市街地付近で交差し、鉄道は阿武隈急行が通り、町内に五つの駅がある。

町内には伊達氏によって築かれた梁川城跡があり、天文元年(一五三二)桑折西山こおりにしやま(現桑折町)に移るまで、伊達氏の本拠地となった。伊達持宗は応永三三年(一四二六)梁川八幡宮、嘉吉元年(一四四一)輪王りんのう寺を建立した。町域の村は伊達郡に属し、天正一九年(一五九一)蒲生氏郷領、慶長三年(一五九八)上杉景勝(米沢藩)領、そして寛文四年(一六六四)に幕府領となる。延宝七年(一六七九)福島藩領となるが、天和二年(一六八二)再度幕府領となり、以後梁川藩をはじめ、桑折藩・磐城平藩・蝦夷松前藩など村ごとに頻繁な領主の変遷を繰返しながら幕末に至った。


梁川町
やながわちよう

[現在地名]函館市梁川町など

昭和六年(一九三一)九月に設定された町で、五稜郭ごりようかく町の南西亀田かめだ川の左岸に位置する。それまでの函館区大字亀田村かめだむらの字であった鍛冶村通かじむらどおり陣屋通じんやどおりを中心に、五稜郭通ごりようかくどおり湯川通ゆのかわどおり村内川東むらうちかわひがしの一部を加えて町域とした(函館市字地番改正調書)町名榎本武揚の号梁川に由来する。昭和三〇年の国勢調査では世帯数五二五・人口二千四八六、製造業関係者が就業人口比で二二パーセントを占めていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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