坂田城跡(読み)さかたじようあと

日本歴史地名大系 「坂田城跡」の解説

坂田城跡
さかたじようあと

[現在地名]横芝町坂田

栗山くりやま川西岸、南東へ突出する舌状台地先端部に築城された平山城。戦国期に千葉氏の家臣井田氏が居城し、上総山辺やまべ郡・武射むしや郡、下総匝瑳そうさ郡に及ぶ支配領域の拠点とした。井田氏は「千葉実録」文明一〇年(一四七八)条に千葉氏方の将としてみえる。永正二年(一五〇五)の千葉昌胤の元服式では井田胤俊が馬一疋を納め礼酒の儀の役を勤めたという(千学集抜粋)。享禄期(一五二八―三二)と推定される三月一日の千葉勝胤書状写(神保文書)によると、井田氏は坂田郷の領主三谷大膳兄弟の内紛に乗じて同郷に進出しようとしており、天文元年(一五三二)一一月一五日の千葉昌胤官途状写(井田文書)によると井田友胤はこの時に千葉氏家臣になっている。「総州山室譜伝記」によると、天文期の第一次国府台合戦では北条方として参陣し、田向たむかい(小池)(現芝山町)を築くとともに、北条氏から離反した牛久うしく(現市原市)城主を攻略した功により高谷たかや川中流域の諸郷を与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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