牛久(読み)ウシク

デジタル大辞泉 「牛久」の意味・読み・例文・類語

うしく【牛久】

茨城県南部の市。陸前浜街道宿駅から発達。南に牛久沼がある。人口8.2万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「牛久」の意味・読み・例文・類語

うしく【牛久】

茨城県南部の地名。東は稲敷台地と小野川流域の水田地帯からなり、西は台地状で牛久沼に接する。江戸時代には牛久藩一万石の城下町で、水戸街道の宿駅として栄えた。近年は宅地化が進む。昭和六一年(一九八六市制

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改訂新版 世界大百科事典 「牛久」の意味・わかりやすい解説

牛久[市] (うしく)

茨城県南部にある市。1986年市制。人口8万1684(2010)。標高20~25mの筑波稲敷台地と,これを刻んで流れる小野川水系沿岸の低地からなる。中心集落の牛久は江戸時代は水戸街道の宿場町で,牛久沼に臨む城中には牛久藩山口氏の陣屋が置かれた。明治前期から女化原(おなばけはら)など台地の開墾が進められ,県下有数のラッカセイ産地になった。JR常磐線が通じ,東京都心まで50kmの距離にあるので,1960年ころから沿線を中心に通勤住宅地化が進み,人口増加が著しい。圏央道のインターチェンジがある。農業ではラッカセイにかわり,スイカなど野菜の生産がふえている。牛久駅東に1903年神谷伝兵衛が日本で最初に建設した煉瓦造のワイン醸造所牛久シャトーがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「牛久」の意味・わかりやすい解説

牛久
うしく

千葉市原市中部の一地区。旧牛久町。養老(ようろう)川中流に位置し、養老川流域の農村地域の商業中心地であり、小湊(こみなと)鉄道国道297号が外房(そとぼう)の勝浦市と連絡する。また、国道409号が茂原(もばら)と木更津(きさらづ)へ通じる交通の要地でもある。平地は水田、台地上はゴルフ場となっている。橘(たちばな)山の山頂に金剛力士像2体(1263年の作)などのある橘禅寺(きつぜんじ)がある。

[山村順次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「牛久」の意味・わかりやすい解説

牛久
うしく

千葉県中部,養老川中流域にある地区。旧町名。 1967年市原市に編入。木更津,茂原の両市を結ぶ国道 409号線が東西に,千葉市と勝浦市を結ぶ国道 297号線が南北に通じ,小湊鉄道が通る交通の要衝にあり,商業の中心地。

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世界大百科事典(旧版)内の牛久の言及

【市原[市]】より

…67年1町1村を編入して,市原郡全体が市原市となり,県内一広い面積となった。近世には海岸沿いを通る木更津街道の宿場町として市原,五井,姉崎が栄え,養老川流域をさかのぼる勝浦街道の馬継場として牛久が栄えた。大正末から昭和初めに流域を貫く小湊鉄道が国鉄房総線(現,JR内房線)の五井から開通すると,五井が中心市街となった。…

【養老川】より

…上流部に夷隅(いすみ)川と河川の争奪をした空谷(からだに),中流に数kmにわたる景勝の養老渓谷と,京葉工業地域に工業用水を供給する山倉ダムがある。また中流には桜の名所鶴舞や,かつて勝浦街道の馬継ぎ地で現在も半島中央部の商業中心をなす牛久(うしく)がある。下流の三角州は米作や果樹栽培に利用されてきたが,近年は臨海部に続く工業地になりつつある。…

※「牛久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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