日本歴史地名大系 「城中村」の解説 城中村じようなかむら 茨城県:筑波郡伊奈村城中村[現在地名]伊奈村城中(じようちゆう)栗山(くりやま)村の南に所在。村域は舌状台地南端から水田地帯に及ぶ。江戸後期は天領で岡田寒泉が代官であった(岡田寒泉功徳碑)が、「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)には前橋藩領五三二・九二三四九石と旗本内藤銑之助知行地一一一・二九一石の相給。村内は中城坪(なかじようつぼ)・台坪(だいつぼ)・搦坪(からめてつぼ)・根通坪(ねどおりつぼ)・法花坪(ほつけつぼ)・新田(しんでん)・小花木(こはなぎ)・槐並(さいかちなみ)・丁張(ちようはり)などに分れ、中世城郭遺構を思わせる小字が残り、栗山城の主郭部はむしろ当村にあったと考えられる。 城中村じようちゆうむら 茨城県:稲敷郡牛久町城中村[現在地名]牛久町城中牛久沼に突出した舌状台地にあり、北は牛久村。「和名抄」記載の河内(かつち)郷の本郷の地といわれる。台地には縄文式土器・弥生式土器・土師器・須恵器を含む複合遺跡が多く、城中A・大明神西(だいみようじんにし)・水井神台(みついじんだい)・小馬様台(こまさまだい)・稲荷台(いなりだい)の各遺跡などが知られ、愛宕(あたご)神社古墳・水神塚(すいじんつか)古墳(円墳)、明神塚(みようじんつか)古墳(前方後円墳)などもあって古くから開かれた地であった。戦国期に小田氏の一族岡見氏が当地に牛久城を築城し、天正一八年(一五九〇)以後は由良氏が城主となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報