日本歴史地名大系 「城古寺村」の解説 城古寺村じようこじむら 山梨県:東山梨郡牧丘町城古寺村[現在地名]牧丘町城古寺窪平(くぼだいら)村の西、笛吹川右岸の河岸段丘上に位置する。中世は牧(まき)庄中牧郷の内と考えられ、嘉元三年(一三〇五)庄主二階堂道蘊が当地に浄居(じようこ)寺を創建したのが地名の始まりと伝えるが(夢窓国師年譜)、史料上確認できるのは戦国時代まで下る。永禄元年(一五五八)閏六月一〇日、武田晴信は彼自身の子と思われる桃由童女の菩提のため、「浄古寺」の内で大村右京亮分三貫文を大泉(だいせん)寺(現甲府市)に寄進している(「武田晴信印判状」大泉寺文書)。武田氏滅亡後の天正壬午の乱の際、浄居寺城には小田原北条方の大村三右衛門が拠ったといい、その後寺は窪平に移された。城は徳川家康の家臣内藤信成により大修築が加えられたが(家忠日記)、大泉寺領は家康によって天正一一年(一五八三)四月一八日そのまま安堵された(「徳川家康判物写」甲斐史料集成稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by