城島城跡(読み)じようじまじようあと

日本歴史地名大系 「城島城跡」の解説

城島城跡
じようじまじようあと

[現在地名]城島町城島 城内

筑後川左岸の自然堤防上に位置した戦国時代末期から近世初頭の平城。「筑後将士軍談」に城島館跡とあり、天正一一年(一五八三)西牟田家周が生津なまづ(現三潴町)落城後に築城したとする。規模は本丸東西・南北ともに三八間、二の丸が東西四八間・南北三二間、本丸の外輪に堀、二の丸の南に川、東に堀が巡っていたという。西牟田氏は肥前の龍造寺氏に属し、同一三年四月二八日、戸次道雪・高橋紹運率いる大友軍の攻撃を受けたが防戦し、一〇〇―二〇〇人ほどを討取り撃退した(「上井覚兼日記」同年五月七日条)。同一四年島津氏の攻撃を受け、家周は肥前に逃げたという。同一五年九州分国後に柳川城主となった立花統虎(宗茂)は、老臣薦野玄賀を城島城督に任命し、城領として一三〇町を預け置いた(八月一一日「立花統虎知行宛行状」薦野家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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