城島村(読み)じようじまむら

日本歴史地名大系 「城島村」の解説

城島村
じようじまむら

[現在地名]城島町城島

筑後川とやま川の合流点左岸の平坦地に位置。東は大依おおより村、南は楢林ならばやし村。北は山ノ井川を挟み内野うちの村。町家の東側には堀が連なり、城島城跡の西側には宇田貫うたぬき川低湿地を挟んで筑後川が流れる要害の地であった。山ノ井川はかつて山井手川と称し、上妻かみつま山内やまうち(現八女市)に発する(在方諸覚書)早津崎はやつざき(現三潴町)久留米柳川往還から分岐、当地を経て榎津えのきづ(現大川市)方面に至る街道(通称肥後街道)沿いに町場が形成された。正保四年(一六四七)の大小道之帳によると西牟田にしむた(現三潴町)から城島町まで小道二里一〇町三〇間。筑後川の城島渡(幅一七〇間・深さ一間半、指塩には深さ四間半)上野うえの(現久留米市)から一里一五町で、肥前国大島おおしま(現佐賀県千代田町)に渡す。この間に山ノ井川に架かる城島橋(長さ一三間・幅七尺)があった。大友氏の重臣で筑前立花たちばな(現新宮町)の戸次道雪は筑後の龍造寺勢を討つため、天正一二年(一五八四)九月一五日に坂東ばんどう(現筑後市)に布陣し、城島をはじめ西牟田酒美さけみ(酒見、現大川市)榎津に放火した(高橋記)。このとき、道雪の家臣薦野増時の名代として派遣された安部六弥太親常が「西牟田要害於城嶋」で戦死している(七月一二日「戸次道雪感状」薦野家譜/大日本史料一一―一七)

文禄四年(一五九五)の知行方目録に村名がみえ、高三二一石余・葭方一七石余。本高は六四一石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高五五〇石・役高八四七石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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