城飼郡・城東郡(読み)きこうぐん・きとうぐん

日本歴史地名大系 「城飼郡・城東郡」の解説

城飼郡・城東郡
きこうぐん・きとうぐん

遠江国の南東端部に位置し、古代から近世に至る郡域はほぼ現在の小笠おがさ郡に相当する。古代は城飼郡と記したが、平安後期より城東郡ともよばれる(寛治三年一一月一二日「散位藤原致継寄進状案」賀茂別雷神社文書など)

〔古代〕

郡名は「和名抄」東急本に「支加布」の訓がある。「遠江国風土記伝」は「牧飼の地」すなわち牧の存在を地名の語源とする。現在の菊川きくがわ町・浜岡はまおか町・小笠町大東だいとう町・大須賀おおすか町付近。牧之原まきのはら台地の西側、菊川およびその支流沿いに位置し、南は遠州灘沿岸に延びる。菊川流域には約七七〇基の古墳群が存在し(静岡県史)、古墳時代からすでに一つの地域的まとまりが形成されていたと考えられる。同時代史料による郡名の初見は、藤原宮跡出土木簡(「藤原宮」―五九)の「紀甲郡松淵里才小列万呂」という記載。ただし土方家系図(土方文書)に記された伝承では、小治田朝廷(推古朝)に仕えた真閇乃君が居地にちなんで「土形君」の姓を負って「城飼評督」となったとあり、孝徳朝には小山上猪万呂君が「城養郡主政」に、さらにその甥の足国君が「直大肆、城飼郡大領」となったと記されている。推古朝という時期の当否は別としても、城飼評が評制成立当初から存在した可能性は高い。同系図によれば、土方氏は応神皇子大山守皇子の子津布良古王が、母である遠淡海国造摩奴良比売に随行して「遠淡海土形里」に居住し、これが土方氏の祖となったとされている。系図では前述の足国君以降も、真床(擬少領従七位下)・宅麿(擬大領外正六位上、延暦七年から大領)・島足(外正七位下、郡司主帳)・宗継(郡司少領)・百継(従六位上、軍団大毅)・常雄(郡司判官代)・岡継(郡司大夫、郡務二三年、貞観一〇年九月叙外従五位下)・国望(郡司大夫、郡務三一年、延喜一三年七月一一日卒)・浄直(右衛門少尉、承平三年八月郡司判官代)など代々郡司や軍毅を出しており、また大舎人や兵衛などとして中央に出仕している人物も記録されている。土方家系図は土方家に伝来した古系譜などをもとに明治時代にまとめられた史料で、内容を全面的に信用することはできないが、八世紀の同時代史料においても「土形大足」「土方人足」なる者が中宮職・皇后宮職の職員のなかにみえ(天平一五年七月一三日「中宮職移案」・天平勝宝二年六月二七日「土形人足瓜等進送文」正倉院文書)、「万葉集」巻三には「土方娘子を泊瀬山に火葬る時、柿本朝臣人麿の作る歌一首」が載せられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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