横須賀湊(読み)よこすかみなと

日本歴史地名大系 「横須賀湊」の解説

横須賀湊
よこすかみなと

[現在地名]大須賀町西大渕

弁財天べんざいてん川と西大谷にしおおや川の河口に形成された遠浅入江に位置し、遠州灘に開けていた湊。宝永四年(一七〇七)の大地震によって湊口が塞がり、使用できなくなるまで横須賀城下の湊として栄えた。

徳川家康は天正六年(一五七八)武田方の高天神たかてんじん(現大東町)を攻略するため横須賀城を築かせたが、高天神城が落城したのちも横須賀城に譜代家臣を配し、横須賀藩を立藩させたのは、当湊による海上交通の便が重視されたためとみられる。横須賀城の築城当時は南・西・北の三方にかけては一面の入海であったとみられる。文化九年(一八一二)の「横須賀原始考」に「横須賀の地、昔は国々の舩ともここに舩かゝりせる大湊のありて、いと賑ハへる里なりし」とあり、続けて横須賀城の西方石津いしづにかけては入海に砂原(すか)を横にさし出した形体だったので横須賀といったと記す。横須賀城の北側の入江には城の下まで船が入ることが可能で、また北の対岸にあたる撰要寺せんようじ山の北側の入江はうばふところともいわれ、どんな荒波も避けることができ、あたかも幼児が乳母の懐にあるのと同じように安心していられる避難港であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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