令制官司の一つ。中務省に所属し,中宮の伝達命令の執行機関として設置された。皇后宮職の例からみて,中宮の家政的な実務も執行した可能性がある。職員は大夫1人,亮1人,大進1人,少進2人,大属1人,少属2人を官人構成としてもち,その下に舎人,使部,直丁,奴などを配置していた。奈良時代,平安初期では天皇の即位にともなって皇太夫人=中宮になった人に対して設けられ,恒常的に設置されていたものではない。藤原宮子(聖武母),当麻山背(淳仁母),高野新笠(桓武母),藤原順子(文徳母),藤原明子(清和母),藤原高子(陽成母)等に設置された例が知られている。後になって999年(長保1)一条天皇のとき皇后定子と中宮彰子とを区別して二后を併立させて以後は,皇后宮職,皇太后宮職などとならんで,別に中宮職が設置されるようになった。平安宮の古図にみえる職の御曹司は中宮職をふくむ皇太后宮職等の曹司のことか。
執筆者:鬼頭 清明
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令制の中務省所管の官司。中宮の伝達命令などの庶務のほかに家政も処理した。職員令では大夫(従四位下相当)1人・亮1人・大進1人・少進2人・大属1人・少属2人と,舎人(とねり)400人・使部(しぶ)30人・直丁(じきちょう)3人。令制では皇后・皇太后・太皇太后の付属職司とされるが,8~9世紀は実質的には皇太夫人に設置された。10世紀に令制に復したが,999年(長保元)以降は皇后と併立された中宮に設置された。
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…言辞は令旨,臣下より皇后に申すのは啓,出行は行啓,敬称は殿下(明治以降は陛下)と称するなど,皇太子の待遇に通じるものもある。
[付属職司の変遷]
令制によると,皇后は太皇太后,皇太后とともに付属職司として中宮職(しき)を充てられ,大夫以下の官人が奉仕すると定めている。しかし聖武天皇の生母で皇太夫人藤原宮子に中宮職を付属させ,安宿媛の立后に当たって,新たに皇后宮職を設けて以来,平安時代中期までは皇太夫人に中宮職を,皇后には皇后宮職を付属させた。…
※「中宮職」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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