埴見村(読み)はなみむら

日本歴史地名大系 「埴見村」の解説

埴見村
はなみむら

[現在地名]東郷町埴見

長和田なごうた村の南西東郷池に注ぐ埴見川上流に位置する。「和名抄河村かわむら郡埴見郷の遺称地とされる。もとは花見とも記され(正保国絵図)、「伯耆民談記」には土海とみえる。正嘉二年(一二五八)一一月に作成された東郷庄下地中分絵図に「土海宮西分」として社殿が描かれており、当地にあった産土神であろう。藩政期の拝領高二七七石余。佐藤氏の給地(給人所付帳)。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によると朱高三〇三石余、高三一九石余、うち畑高二九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む