堀江 忠男(読み)ホリエ タダオ

20世紀日本人名事典 「堀江 忠男」の解説

堀江 忠男
ホリエ タダオ

昭和期の評論家,元・サッカー選手 早稲田大学名誉教授。



生年
大正2(1913)年9月13日

没年
平成15(2003)年3月29日

出生地
三重県上野市

出身地
静岡県

学歴〔年〕
早稲田大学経済学科〔昭和11年〕卒

学位〔年〕
経済学博士

主な受賞名〔年〕
勲三等瑞宝章〔昭和61年〕

経歴
昭和11年朝日新聞社への入社を半年遅らせてベルリン五輪にサッカー代表選手として出場。優勝候補のスウェーデン怒濤の攻撃で破った奇跡の逆転勝利の経験者で、腕を骨折しながらもゴールを死守し、5位入賞に貢献。同年朝日新聞社に入社、記者生活を送る。戦後、ベルリン五輪時に立ち寄ったモスクワでの市民生活の印象からマルクスの「資本論」を再検討する必要を覚え、26年退社し早稲田大学講師に転じた。のち教授、政治経済学部長。62年〜平成5年大月短期大学長。この間、早稲田大学サッカー部監督を3回務めて同大の黄金時代を築き、岡田武史元サッカー日本代表監督らを育てた。著書に「世界経済の歴史・理論展望」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報