堀越三右衛門(読み)ほりこし・さんえもん

朝日日本歴史人物事典 「堀越三右衛門」の解説

堀越三右衛門

没年:寛文7.10.11(1667.11.26)
生年:生年不詳
江戸前期の上野国緑埜郡緑埜村(群馬県藤岡市)の名主。寛文7(1667)年,上野国多胡郡,緑埜郡の旗本倉橋氏の知行所小串村等5カ村の名主,百姓が年貢減免を要求,三右衛門は倉橋氏の苛政を幕府に訴え処刑された。その後黒熊村名主の三木市右衛門が引き継いで,農民の要求は達成され,寛文13(1673)年に旗本倉橋久盛は罷免された。参加した村々の農民は,小串村に万日堂(光心院)を建立し,三右衛門夫婦を本尊として冥福を祈った。<参考文献>『群馬県多野郡誌』,田村栄太郎『日本農民一揆録』,萩原進『騒動

(落合延孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀越三右衛門」の解説

堀越三右衛門 ほりこし-さんえもん

?-1667 江戸時代前期の農民。
上野(こうずけ)緑野郡(みどのぐん)緑野村(群馬県藤岡市)の名主。寛文7年領主の旗本倉橋氏の重税にくるしむ農民をすくおうと幕府にうったえたため,10月11日処刑された。村人は小串村に万日堂(光心院)をたてその菩提(ぼだい)をとむらった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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