朝日日本歴史人物事典 「堀越三右衛門」の解説
堀越三右衛門
生年:生年不詳
江戸前期の上野国緑埜郡緑埜村(群馬県藤岡市)の名主。寛文7(1667)年,上野国多胡郡,緑埜郡の旗本倉橋氏の知行所の小串村等5カ村の名主,百姓が年貢減免を要求,三右衛門は倉橋氏の苛政を幕府に訴え処刑された。その後黒熊村名主の三木市右衛門が引き継いで,農民の要求は達成され,寛文13(1673)年に旗本倉橋久盛は罷免された。参加した村々の農民は,小串村に万日堂(光心院)を建立し,三右衛門夫婦を本尊として冥福を祈った。<参考文献>『群馬県多野郡誌』,田村栄太郎『日本農民一揆録』,萩原進『騒動』
(落合延孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報