日本歴史地名大系 「緑野郡」の解説 緑野郡みどのぐん 群馬県:上野国緑野郡「和名抄」国郡は「美止乃」と訓を付す。東は武蔵国、南は甘楽(かんら)郡、西は多胡(たご)郡、北は片岡(かたおか)郡・群馬郡・那波(なは)郡と接する。現藤岡市の大部分と現多野(たの)郡新(しん)町および同郡鬼石(おにし)町の一部を郡域とする。「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条に「上野国緑野屯倉」が置かれたとある。同屯倉は一説では現藤岡市緑埜(みどの)の付近にあてられ、また同市下戸塚(しもとづか)一帯の低地帯に比定する説もある。「上毛古墳綜覧」による県内の古墳総数八千四二三基のうち、鏑(かぶら)川下流域、鮎(あゆ)川・神流(かんな)川下流域にはその四分の一が分布していた。なかでも藤岡市西部の鮎川流域は県内でも有数の古墳密集地であり、白石(しろいし)には五世紀前半の築造とみられる稲荷山(いなりやま)古墳、上落合(かみおちあい)には六世紀後半の築造とみられる前方後円墳の七輿山(ななこしやま)古墳(国指定史跡)、また七世紀中頃の円墳の伊勢塚(いせづか)古墳(県指定史跡)がある。同市本郷(ほんごう)には本郷埴輪窯跡(国指定史跡)があり、一帯は「和名抄」土師(はにし)郷に比定され、土器や埴輪を製作する職業集団の土師部が居住していた。西平井(にしひらい)でも瓦窯が調査され、八世紀頃のものとみられる上野国分寺跡(現群馬郡群馬町)や金井(かない)廃寺(現吾妻郡吾妻町)出土の瓦に類似しているという。藤岡市中大塚(なかおおづか)付近は明治九年(一八七六)の地籍図では水路が東西南北に平行して走り、「金坪」の地名もあり、近くに平地(へいち)神社古墳なども所在していることなどから、条里の施行が推定される。和銅四年(七一一)多胡郡建置に際し、当郡から武美(むみ)郷が編入している(続日本紀)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by