堂島村(読み)どうじまむら

日本歴史地名大系 「堂島村」の解説

堂島村
どうじまむら

[現在地名]大野市堂島

旅塚たびづか川扇状地先端に位置し、東に枝村金山きんざん村がある。正保郷帳によれば田方一三〇石・畠方七〇石余。初め福井藩領、寛永元年(一六二四)木本藩領、同一二年福井藩領、貞享三年(一六八六)幕府領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領。

承応三年(一六五四)三月の大野郡内堂島村検地水帳(坪内家文書)によると、以前は村高二〇〇・一七石であったが、他村への出分ありとの訴人が出たため検地を行い、村高のうち上田一町九反余・中田三町四反余・下田八町九反余、上畑八反一畝余・中畑八反五畝余・下畑一町一反余、屋敷五反八畝余、ほかに神田や寺屋敷など若干となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む