堅石村(読み)かたいしむら

日本歴史地名大系 「堅石村」の解説

堅石村
かたいしむら

[現在地名]塩尻市大字広丘 堅石

奈良井ならい川の右岸段丘上にあり、南は北国西脇往還(善光寺道)郷原ごうばら宿、東は村、北は原新田はらしんでん、西は奈良井川を隔てて今井いまい(現松本市)と接する。

もとは奈良井川の西岸住戸すまいどにあったが、慶長一九年(一六一四)小笠原秀政により北国西脇往還の整備によって現在地へ移転したと伝える。

長享二年(一四八八)二月、諏訪社下社の造宮帳に堅石とあるのが文献上の初出である。天正(一五七三―九二)の石直しの草高一五七石余とあるのは住戸の村高であろう。慶安検地の石高は三三六石二斗六升、享保一〇年(一七二五)の免状高は三六五石余で、そのうち田方は三〇七石で八割四分を占め、水田率の高いことは市域内の村落中第一位である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android