日本歴史地名大系 「堅磐村」の解説 堅磐村かきわむら 茨城県:常陸太田市堅磐村[現在地名]常陸太田市堅磐町久慈川の左岸にあり、北は上土木内(かみどぎうち)村・内田(うちだ)村。釈迦堂(しやかどう)村(現日立市)より分村し、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高には「押切村」とある。「加藤寛斎随筆」によると享保二年(一七一七)に「堅磐村」と改め、天保郷帳に「堅盤村」と記され、「古者押切村」と注がある。明和元年(一七六四)の人口一六八、文化二年(一八〇五)には二六戸。天保一三年(一八四二)の検地では田畠二四町余、分米二一三石余、新田田畠一町余、分米六石余であった(新編常陸国誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by