朝日日本歴史人物事典 「堰八安高」の解説
堰八安高
生年:生年不詳
江戸初期,弘前(津軽)藩堰八村(黒石市)の堰役。通称太郎左衛門。浅瀬石川右岸から導水する藤崎堰の取り入れ口が年々決壊,下流域16カ村の農民が苦しむのをみて人柱となることを決意。藩の許可を得て,17日間の潔斎ののち,堰の安堵を祈願し,わが身に杭を打たせて水底に沈んだという。以来,この堰は崩壊することがなかった。正保2(1645)年,社殿を建て堰神として祀られた。3代藩主津軽信義は福田堰神の号を贈った。<参考文献>『津軽藩旧記伝類』(『みちのく双書』5巻),『堰神社由緒書』
(細井計)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報