ドイツ中西部、ノルトライン・ウェストファーレン州の州都。ライン川下流右岸にある国際的な商業・貿易都市。人口56万9400(2000)。南北の幹線鉄道に沿って位置し、オランダへ向かう鉄道の分岐点をなし、国際空港や河港を備える。そのためドイツのみならず諸外国の諸企業、金融機関が集中している。面積13万平方メートル余の見本市会場があり、婦人服、靴、ボートなど各種の国際見本市が開かれる。また国際会議もしばしば開催され、会議都市としても知られる。ドイツにおける最大の日本企業集積地でもあり、在住日本人数も市および周辺で約9000人余を数え(ドイツ最大)、日本の百貨店やホテルなどのある日本センターが所在する。工業では鉄鋼、機械、車両、電気機器、ガラス、印刷、化学などが行われる。
市はライン川右岸のデュッセル川が合流する地点にあった漁業集落に始まり、1288年に都市権を得、ベルク侯の居地となった。17世紀にはヨハン・ウィルヘルム選帝侯(1658―1716)が住んでバロック芸術の都として栄え、フランス革命時にはナポレオンによって都市改造がなされ、「小パリ」ともいわれた。19世紀にはドイツ・ロマン主義絵画のデュッセルドルフ派を生み出し、また詩人ハインリヒ・ハイネ(1797―1856)を輩出している。19世紀中葉から工業都市として発展し、1882年には人口10万を超え、1946年に州都となった。
市の核をなすのは旧市域で、ライン川に接して16世紀の市庁舎、市場広場があり、通りは歩行者専用道路となり、バー、レストランなどが多く、訪問客が絶えない。業務街は旧市の東側を南北に走るブライト通りから東方の新市域にかけてで、その中間にある旧市の堀沿いのケーニヒ大通り(通称ケー)が中心商店街をなす。旧市の北縁に広がる旧宮廷の園地は緑地公園となり、美術館、州博物館、現代絵画館(旧狩猟の館)がある。郊外にはネアンデルタール人出土地や、ヨーロッパ最大規模のミニアチュール公園「ミニドーム」がある。
[小林 博]
ドイツ西部,ノルトライン・ウェストファーレン州ルール地帯の州都。人口57万3000(2004)。ライン川下流の右岸,一部左岸に位置。行政,経済,文化の中心地で,各種行政官庁や大企業の本社,大学や各種アカデミー,美術館・博物館,劇場,文書館等が所在し,芸術の中心地でもある。都心のケーニヒスアレーには高級商店やレストランが並ぶ。多数の日本企業の支店,出張所があり,居住日本人の数はドイツ第1位。郊外に鉄鋼,化学,ガラス工業の大工場がある。1159年,史料に初めて記述がみられ,1288年に都市法を獲得。1511-1609年にはベルク公の王宮所在地,1609-1742年にファルツ・ノイブルクの首都,1742-99年にファルツ・ズルツバハの首都,1801-06年のバイエルン領を経て,06年にナポレオン支配のもとでベルク大公国の首都となる。14年にプロイセン領となり,ライン州デュッセルドルフ県の県庁と24年には州議会の所在地となる(州都はコブレンツ)。30年代のライン川航行の活発化や鉄道建設による交通事情の好転とルール地方の工業発展により,50年以降商工業都市に脱皮した。第1次大戦後,カップ一揆(1920)のさい激しい戦闘の場となり,1921-25年のフランス,ベルギーによるルール占領のさい分離反対闘争の拠点となる。第2次大戦では市の半分が破壊された。戦後アメリカ,のちイギリスの軍事政府が置かれた。
執筆者:川本 和良
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