堺田村(読み)さかいだむら

日本歴史地名大系 「堺田村」の解説

堺田村
さかいだむら

[現在地名]最上町堺田

現最上町の東端最上小国もがみおぐに川支流明神みようじん川・鍋倉なべくら川の流域山間に位置する。近世最上郡(新庄藩領)と陸奥国玉造たまつくり(仙台藩領)の境界にあたり、新庄城下や羽州街道舟形ふながた宿(現舟形町)と仙台藩領の村々を結ぶ最上小国街道(中山越)が東西に走る。境田とも記した。新田本村鑑では富沢とみざわ村のうちとみえ、寛永一五年(一六三八)より同村地内を開発、貞享元年(一六八四)に別村になったと記す。吉村本村鑑では新田三一石余・新畑七石余、反別四町四反余(文化年中改か)。文政一〇年(一八二七)新庄領総高控では竈数一七・人数六〇、駄馬六六。天保郷帳では富沢村枝郷としてみえ高三八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android