最上町(読み)もがみまち

日本歴史地名大系 「最上町」の解説

最上町
もがみまち

面積:三三〇・一〇平方キロ

郡の東部を占め、北は秋田県雄勝おがち郡雄勝町、東は宮城県玉造たまつくり鳴子なるこ町、同県加美かみ宮崎みやざき町・同小野田おのだ町、南は尾花沢おばなざわ市、南西は舟形ふながた町、西は新庄市と接する。北は軍沢いくさざわ(一一九三・七メートル)天狗森てんぐもり(一三〇二・三メートル)、西は火打ひうち(一二三七・九メートル)八森はちもり(一〇九八メートル)亀割かめわり(五九三・九メートル)、南はきん(七六二・九メートル)おきな(一〇七五メートル)、東はみみずく山(八六一・八メートル)奥羽おうう(七六六・一メートル)小柴こしば(一〇五五・八メートル)禿かむろ(一二六一・七メートル)と四周をおおむね八〇〇―一三〇〇メートル級の奥羽山脈神室かむろ山地の高山に囲まれた地で、翁峠西面に水源を発する最上小国もがみおぐに川が中央部を西方に貫流、右岸に明神みようじん川・絹出きぬで川・しら川、左岸に満沢みつざわ川・すぎ入沢いりさわ川などを合せ、大堀おおほり地区あたりから峡谷部を形成して山地を横断、舟形町へ抜ける。同川の中流域、向町むかいまちを中心とする平坦地は向町盆地とよばれ(最上盆地・小国盆地ともいう)、おもな集落・耕地は同盆地や最上小国川支流域に展開するが、林野は町域の八割を超え、耕地面積は一割に満たない。向町盆地は西方より東方の山地が低いために、東(太平洋側)からの気流が入りやすく、夏季の気象は宮城県側との共通点が多い。しかしオホーツク高気圧が発達した場合など、ヤマセとよばれる東風が吹込み冷害を引起しやすい。


最上町
もがみまち

[現在地名]鶴岡市上畑町かみはたまち日吉町ひよしまち錦町にしきまち若葉町わかばまち

最上町(現若葉町・上畑町)裏新屋敷うらしんやしき(新屋敷裏)町の東にある給人町。東は大宝寺だいほうじ村。東西に通る道とその東端を南北に通る道の両側の町並で、おもに足軽・組外が住む。町名は酒井氏入部後足軽として召抱えた最上浪人を置いたことによるとされ(大泉掌故)、足軽の先祖の多くは田麦俣たむぎまた(現東田川郡朝日村)より移ってきたという(鶴岡昔雑談)。延宝六年(一六七八)の城下絵図には御足軽町とみえ、東西の町並は一〇一間・五〇間・八一間、南北の町並は五〇間・六〇間。


最上町
もがみまち

[現在地名]佐倉市最上町など

中尾余なかびようの東に位置する城外の侍屋敷地で、台地上に立地。南は成田道に沿うしん町のうちなか町。小字に七軒町しちけんちよう赤子尾余しやくしびよう(現鏑木町瓜作地内の飛地)成就院尾余じようじゆいんびよう(現同上)がある。大久保忠朝時代の佐倉絵図(小田原市立図書館蔵)や松平乗邑時代の佐倉城絵図(篠丸家蔵)に最上町、稲葉正知時代の佐倉城府内之図(佐倉市蔵)にモガミ町とみえる。


最上町
もがみちよう

[現在地名]伏見区桃山ももやま最上町

樋ノ上町の南。町界等の変更によって、津知橋つちばし京町きようまち東方の鍛冶屋かじや町・魚屋うおや町・山崎やまざき町・伊達だて町とを併せ、桃山最上町という代表町名で残る。

「豊公伏見城ノ図」によれば、大和やまと街道筋の東側に最上駿河守の大きな屋敷があり、この屋敷は、西側町裏にあたると同時に、山崎町・伊達町地域の南側町裏にもあたる。最上町の東側は道路に面して仙台中納言伊達政宗の広大な屋敷が広がり、現桃山町正宗まさむねにあたる。

町域については「京都府地誌」も「豊臣氏ノ時、最上義光の邸地此ニアリ」と記すだけであるが、海宝かいほう寺について「最上町ニアリ」とし、また海宝寺は移転したことがなく、文政九年(一八二六)伏見町絵図や伏見町役場編の維新前伏見管轄図にも津知橋筋突当りくらいのかなり北方に示されているので、当町は、江戸時代から明治初年頃まで、南北の通りの東側、それもうえ町の旧堀跡近くまで町界を拡大していたとも考えられる。


最上町
もがみちよう

[現在地名]小樽市最上一―二丁目

大正四年(一九一五)の小樽区の町名改正に伴い花園はなぞの町・入船いりふね町より分立、最上町が成立。大正九年の世帯数二三・人口八八、昭和一〇年(一九三五)の世帯数一一八・人口五八七(小樽市史)。同一五年小樽支庁立小樽工業学校の校舎が建てられた。同二二年失業対策のため洗心せんしん橋―中央墓地間(最上大通)舗装工事が着工。


最上町
もがみちよう

中京区猪熊通御池上ル

南北に通る猪熊いのくま(旧猪隈小路)を挟む両側町。南側を東西に御池おいけ(旧三条坊門小路)が通る。

平安京の条坊では、町の西側は左京三条二坊一保二町の東、東側は同七町西の地。平安中期以降は三条猪熊小路の北側。町の西側は平安時代の木工町の町域にあたる(拾芥抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「最上町」の意味・わかりやすい解説

最上〔町〕
もがみ

山形県北東部,最上川支流小国川の上流部にある町。新庄市の東に位置し,北端は秋田県,東は宮城県に接している。中央部には,向町盆地の平坦地が開けているが,大部分は奥羽山脈に属する山岳・丘陵地帯。 1954年西小国村と東小国村が合体し町制。江戸時代戸沢氏が新庄に入部して以来開発が進んだ。小国川の支流は荒れ川が多く,やませの影響による冷害が起きやすいため農業の条件は悪く耕地は少い。台地では早くから牧馬が行われ,前森原などの牧場が開かれ,県内随一の馬産地として知られた。現在も牧野が広く,乳牛肉牛放牧が多い。小国川はアユ漁で知られ,川沿いに JR陸羽東線,国道 47号線が通り,その沿道に瀬見 (せみ) ,赤倉温泉がある。北東部,神室 (かむろ) 山南麓一帯は,栗駒国定公園に属している。面積 330.37km2。人口 8080(2020)。

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