塀高城跡(読み)へいたかじようあと

日本歴史地名大系 「塀高城跡」の解説

塀高城跡
へいたかじようあと

[現在地名]大原町赤田

吉野よしの川右岸にある中世山城遺構の本格的な調査は行われていないが、本丸・腰郭・井戸とみられる跡がある。別に大野おおの城・赤岩あかいわ城とよぶ。康安元年(一三六一)赤松貞範が居城したが山名氏に攻められ落城したと伝える(東作誌)。のち赤松氏の一族井口貞顕が居城し、天正八年(一五八〇)竹山たけやま城主新免宗貫に反乱するが、同年五月五日の新免宗貫感状(美作古簡集)では当城での合戦に勲功をあげた春名三之丞に恩賞が約束されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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