大原町
おおはらまち
面積:六六・六一平方キロ
夷隅郡の南東部に位置し、東は太平洋に臨み、西は夷隅町、南は御宿町、北は岬町に接する。北東部は海岸に沿う沖積平野で、塩田川が東流する。南部と西部は丘陵が南北に連なり、その間の沖積平野を山田川・落合川・新田川が流れている。南北一一キロの海岸線のなかで塩田川以北は砂浜海岸で、大原漁港以南は高さ五〇メートルを超える絶壁の岩石海岸である。JR外房線が東部を南北に走り、大原駅・浪花駅がある。外房線の東側を国道一二八号が通り、御宿町へ通じている。遺跡は旧石器時代二、縄文時代四〇、弥生時代二三、古墳時代三六ヵ所が確認されている。古代は夷隅郡蘆道郷(和名抄)に含まれたとみられる。中世には伊南庄の一部であった。上杉禅秀の乱にかかわって上総本一揆が起こり、応永二六年(一四一九)には新田の坂水城周辺で合戦があった。
大原町
おおはらちよう
面積:五四・九一平方キロ
郡北東部に位置し、北は西粟倉村・東粟倉村、東は兵庫県佐用郡佐用町、南は作東町、西は勝田郡勝田町。村落は西粟倉村から南流する吉野川流域の平坦地と、その支流の谷間に点在する。面積の七五パーセント余は山林で、林業の占める割合が高い。西粟倉村からの国道三七三号は吉野川沿いに南下し、古町の南で佐用町方面に抜ける。町の南部には県道の津山―大原線、作東―大原線が通る。中世には大原保・讃甘庄などが成立、近世は吉野郡として推移する。小原宿(古町村)は因幡往来の宿場として賑い、因幡鳥取藩主の本陣が置かれた。
大原町
おおはらまち
[現在地名]水口町本町一丁目
呉服町の東、北裏通を挟んだ両側町。南は柳町、北は古城山へと続く。延宝七年地子赦免帳では居屋敷一五・番屋敷一、屋敷地の間口は最大三五間一尺余・最小二間一尺、前者は柳町からの地面続きである。また番屋敷の間口は六間四尺余と大きい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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